随想

K2に登った女性

永井登志樹

 図書館の郷土資料のコーナーに、『K2 2006 ―日本人女性初登頂・世界最年少登頂の記録―東海大学K2登山隊』(東海大学出版会)という本があったので、借りてきた。
 世界第2の高峰、ヒマラヤのK2(標高8611m)は、極端に登頂成功率が低いことから、世界で最も登攀(とうはん)困難な山として知られている。一昨年の夏、東海大学山岳部創部50周年記念事業のK2登山隊がこの山に挑み、秋田市出身の小松由佳さんが日本人女性として初めて登頂に成功した。本はその登山の概要を網羅した報告書だが、同時に迫真の登頂ドキュメントの記録集というべきもので、この中に小松さんが書いた「頂上アタック」という手記が掲載されている。それにはアタック開始から登頂、下山までの様子が生々しく語られているのだが、一読して、彼女の文章表現のうまさに驚いた。
 登頂してから下山開始後、アタック隊と無線連絡が途絶え、消息不明の事態に陥ったため、ベースキャンプでは遭難を危ぶんだ。その時、小松さんとパートナーの青木達哉隊員は、体力の消耗とアクシデントなどから、酸素ボンベも切れた無酸素状態で8200mでビバークしていた。こんな高所でのビバークは命を失う危険性があり、実際に遭難一歩手前だった。マイナス25度の気温で仮眠をとり、目を覚ました時のことを、彼女は次のように書いている。
「6時頃、頬に強烈な温かみを感じて目を開ける。眼下に、雲海が紫色に広がっていた。その遙か彼方から、太陽がいま昇ろうとするところであった。光の筋が無数に空に伸びて広がっていく。私たちが座っていた山肌も、太陽の光に白く輝いた。光の中にいるような感じがして、そのあまりの美しさに涙が出た。世界はただ美しかった。人間が見てはいけないものを見た感じがした。生まれてきた瞬間を思い出すような、そんな気さえした。太陽や雲や風が、二人に“生きなさい”と言ってくれているように感じ、この世界に戻りたいと強烈に思った」
 落石に何度も遭遇しながら、ようやくビバーク地点からK2の肩(山頂近くに張り出した平坦な尾根)にあたるテント設営地(C3)まで下りたとき、そこで小松さんは付近にいるはずのない外国隊の話し声と、テントに近づいてくる足音を聞いたという。
「このK2の肩、雪に埋もれたテントの中に、数体残されたままだといわれる遺体の誰かが来たのだろう。ずっと冷たく寒いこの場所にいて、きっと寂しかったのだろう。よくよく思い出してみると、語りかけるような静かな声だった。だが、あの声が聞こえたとき、テントを開けずに良かったと今でも思う。もし開けていたら、私たちは二度と戻れなかったような気がしてならない。やはり、この場所は死の地帯なのだ、何か違う存在があると感じた」

 同県人ということもあって、彼女の講演録やインタビュー記事などをこれまでも興味をもって読み、強靱な体力と意志の強さ、そして冷静な判断力を持ち合わせた女性であることは知っていた。今回彼女自身が書いた文章を読んで、それに加えてこの人の持つ謙虚でピュアな精神、純粋さに打たれた。そのことは、ともに登頂に成功した青木隊員(世界最年少でのK2登頂)にもいえるように思う。小松さんにとって、青木隊員は大学の後輩ということで、これまで培われた信頼関係、上下関係がしっかりしており、パートナーとしてベストだったのではないか。
 この2人が下山した直後、頂上を目指していたロシア隊が雪崩により遭難、4人の犠牲者を出した。一方、経験は未熟だが、功名心や個人のエゴなど無縁で、まだ少女と少年の面影が残る若者2人は生還を果たした。山での生死を分ける境とは、どこにあるのか私のような素人には分からないのだが、手記を読むと2人が無事下山したのは、単に運がよかっただけの結果ではなく、人智を越えた何かが作用していたように思えてならない。
 ところで、ここで個人的なことを述べさせてもらうと、実は私の妻も山に魅せられた、いわゆる「山屋さん」と呼ばれる人種で、クライマーの端くれである(もちろん小松由佳さんには遠く及ばない未熟者であるが)。
 妻は40代になって突如山登りに目覚めて山岳会に入り、初めは普通の登山道を登っていたのだが、ロッククライミングの技術を収得し、次第に岩壁や沢などの一般的な縦走路以外の難関ルート(バリエーションルート)ばかり挑むようになった。ついには北アルプス、谷川岳などの日本の山だけではあきたらず、ヨーロッパアルプスに遠征して、一昨年夏はマッターホルン(標高4478m)とアイガー(3975m)、今年の夏はモンブラン(4810.9m)の登頂を果たしてしまった。
 以前、NHKBSの「日本の名峰」という番組で、今井通子さん(アイガーなど3大北壁女性初登攀という快挙をなしとげた登山家)が、ヨーロッパの山は岩の質が花崗岩でザラザラしているが、日本の谷川岳などは変成岩でツルツルしているので日本の岩場のほうが難しい、と言っていた。残雪期の北アルプスの高峰や谷川岳などに登頂できる程度の技術・経験があれば、ヨーロッパアルプスもそれほど難しくはないということか。とはいっても、これまで何人ものアルピニストの命を奪ってきた国外の高山に登ることが、心配ではなかったといえば嘘になる。
 ただ、身内自慢をするようで恐縮なのだが、妻の体力と集中力、何より50代になってからのチャレンジ精神には感心する。東北の低山徘徊専門の軟弱男である私は、そうした力強さを皆無といってよいほど持ち合わせていないので、妻がなんだか私のついていけない世界にいるようで、少しサビシイ気がしたのは確か…。
 ヨーロッパアルプス登頂を果たし日本に帰ってくる妻を待っている時、日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんの帰還を待つ向井万起男さんもこんな心境だったのでは、とふと思ったりしたのだが、こんなことを言ったら、向井万起男さんに失礼ですね。